現在、世界でプレイ人口4,000万人と言われている囲碁。
今回は、多くの人を魅了してきた囲碁がいつから始まり、発祥の地はどこなのかなど囲碁の歴史について解説していきます。
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囲碁の発祥地は中国
囲碁の発祥地は中国だと言われています。
実は最初、囲碁の盤と石はゲームとして使われていたのではなく、星を表したり、占いの一種として扱われていました。
それが紀元前700年~200年の中で戦略ゲームとして広まっていきました。
囲碁は中国の王族が勉強として使用していた
中国では王様になるために琴、書道、囲碁の3つをたしなみとして学んでいました。
王族を中心に囲碁は文化として広まっていきました。
三国志の英雄も囲碁をたしなんでいた
囲碁が広まった理由は、ただ単純にゲームとして面白いからではありません。
戦略を要する知に深く影響していると評価され、多くの方が知る三国志の英雄も囲碁をたしなんでいました。
当時、囲碁が強いということは長けた軍略の持ち主という評価だったのでしょう。
次第に戦は減っていきながらも囲碁は商人から商人へとどんどん広まっていきました。
そして、囲碁は知力を競うゲームとして長く親しまれるようになります。
囲碁が日本にやってきたのはいつ?
囲碁が日本にやってきた時期について諸説ありますが、500年頃に朝鮮から送られてきたことが有力とされています。
奈良から平安時代は、すぐに国内全土に囲碁が広まったのではなく貴族や僧侶を中心にたしなまれていました。
一般的に囲碁が広まったのはいつ?
囲碁が貴族以外に広まったのは鎌倉時代や室町時代だとされています。
貴族の嗜みであった囲碁が武家、農家、商人へと広まっていき囲碁という遊びが一気に広まっていきました。
戦国時代に初の囲碁名人が誕生
1578年、囲碁が強かった日海は織田信長から囲碁の名人と賞賛されました。
今のように正式な肩書きではありませんが、初の名人が誕生した瞬間です。
そして、本因坊という塔に住んでいたことから、本因坊算砂と呼ばれるようになりました。
そう、本因坊という名前はここから現代へと繋がっていきます。
織田信長に称えられた、囲碁の名人こそが本因坊という訳です。
そして、本因坊算砂は信長、秀吉、家康 三代に仕えました。
日本大会を豊臣秀吉が開催する
御前試合として日本全国から囲碁が強い人を集め開催されたのが1588年。
豊臣秀吉の名により、集められた強豪達との対局の中、圧倒的強さで勝利を収めたのが本因坊算砂でした。
本因坊算砂には朱印状が渡され、今でいう給料も与えられるようになりました。
囲碁だけで食べていくという、当時初の棋士(囲碁のプロ)が誕生した事になります。
その後、徳川家康による家元制により囲碁のリーダーとなった本因坊算砂は、現代囲碁の礎として大きく貢献することになります。
囲碁の天才 本因坊秀策の誕生
1800年代になると、囲碁の天才として知られる本因坊秀策が誕生します。
御城碁では13年間の連勝を果たし、碁聖とまで呼ばれるようになりました。
現代の囲碁について
ここからは、どんどん現代への囲碁に繋がっていきます。
果たして、どのように囲碁が普及しプロ制度が広まっていったのでしょうか?
1924年にプロ設立
1924年は日本棋院が誕生した年です。大倉喜七郎男爵によりプロ棋士が集まることによって実現しました、
しかし、間もなくして戦争へと入っていくため対局自体も難しくなり、囲碁に限ったことではありませんが厳しい時代になってしまいます。
戦争が終わり囲碁が広まっていく
戦争が終結し、昭和30年にはテレビで囲碁番組が始まるほど人気を取り戻しました。
プロ、アマチュアの大会も各地で開催されるようになり、中高生にも広まっていきます。
1980年代には中学生以下を対象とした大会なども開催されるほどとなりました。
囲碁は衰退してきている?
そして現在、囲碁を打つ人は年々減ってきていると言われています。
本因坊戦の賞金減少、碁会所の閉鎖など様々な点から衰退の様子が伺えます。
近年、娯楽や趣味の範囲も広がっており、こどもたちが目を向ける方向が完全に変わってきています。
それでも、私たちにできることは囲碁の楽しさを伝えること。それを目的として今後も囲碁に関する情報をお届けします。
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